東日本大震災の津波とはどんなものだったか?(1)
現状視察
気仙沼BRT 調査に合わせての震災のその後
先にブログで報告した気仙沼BRTは、震災での損傷が大きく鉄路での復旧が困難な鉄道をバスで復旧したものです。その取材に合わせて、震災・津波の被害状況や現状も視察しました。
気仙沼BRT 復習
気仙沼BRTをおさらいしましょう。
鉄道からバス専用道(一部は一般道併用)へと転換しています。Google ストリートビューにちょうどその工事中の写真がありました。この後で紹介する、気仙沼市岩井崎に通じる一般道との交差部分です。衛星写真を参考にしてください。
下の左側写真は、北から南方向を見ています。右下から左上が一般道で、左が太平洋側です。手前側の路面は橙色で塗装されています。工事済みのバス専用道路で、一般車が誤進入しないように路面に色が塗られています。この反対側、二階建ての家の横に細い砂利道が見えますが、そちら側は線路は撤去した状態でバス道路として整備される前の状態です。ストリートビューには2012年12月とありますので、震災から1年9か月の状況です。
右の写真は、2013年6月で、専用道が整備されています。
宮城県気仙沼市岩井崎 付近
三陸復興国立公園として整備されていました。この岬には17mの津波が押し寄せたそうです。湾の奥ではなく、海に飛び出した岬に17mの津波とは脅威です。写真は津波の影響で枯れた松の木が、龍のように見えるものです。風光明媚に松林となっていますが、この木々よりも上まで津波が来たということですからものすごいエネルギーでしょう。横綱の像は流出しなかったそうです。
普段は動画のような波が押し寄せる岬です。
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 (kesennuma-memorial.jp)
実習船でのハワイ演習航海があるなど水産系の宮城県気仙沼向洋高等学校の旧校舎が津波の遺構として公開されています。
機会があれば、ぜひともご訪問いただきたいところです。
展示されている当時の写真以外、遺構は撮影可能でしたが、あえて撮影は控えました。入館の際にいただいたパンフレットを掲載します。
パンフレット、あるいはホームページの写真にあるような、校舎の横に流れ着いた自動車や、校舎3階に流れ込んだ自動車、屋根が流出し鉄骨だけとなった体育館などそのまま保存されています。
校舎の4階床上まで津波が押し寄せたということで、校舎屋上から周りを見回すと、すべてが水没したという様子が想像されます。
この遺構は、全生徒がいち早く高台に避難し、また残った方々も屋上に退避したということで人的被害がでていませんので、心理的な負担もそれほど多くなく見学できます。その点でもお勧めです。なお、避難路のMAPも配布されます。生徒たちが避難した経路かと思います。
以下で、バーチャル見学ができます。
学び舎 襲った大津波 宮城県気仙沼市 気仙沼向洋高校 バーチャルツアー 360°リポート〜|VR 震災の記憶 | NHK VR
また、避難に関しては、以下の記録が大変に参考になります。まさに九死に一生を得るようなドラマです。約200人の教職員が、その瞬間瞬間の情報を頼りに、より高いところへと避難したことで全員が助かってます。当日の避難経路は、パンフレットとともに渡された「避難マップ」と同じです。
「その時,現場はどう動いたか」3.11の震災直後の動向 当時に教諭に記録
防潮堤
17mの津波を実感すると防潮堤で防ぐことは不可能です。にもかかわらず、各所で場所によっては巨大防潮堤が作られています。写真は、岩井崎周辺の防潮堤です。高さは2-3mくらいでしょうか。威圧感はありません。
今回のような数百年、あるいは千年に一度の津波に対しては機能しないでしょうが、数十年に一度の津波は防げると考えることもできそうです。